人物

岸田文雄の生い立ちと経歴|アメリカでの差別経験から政治家を目指す

2021年9月の総裁選に出馬を表明し、首相の座を狙っている岸田文雄さん

岸田文雄さんは祖父の代からの政治家一家で生まれ育ちましたが、挫折もあったんだとか。

これまでどのような人生を歩まれたのでしょうか。

この記事では、「岸田文雄の生い立ちと経歴|アメリカでの差別経験から政治家を目指す」と題して、岸田文雄さんの生い立ちをご紹介します。

岸田文雄の生い立ちや経歴

総裁選に真っ先に出馬意欲を示し、首相候補の一人・岸田文雄さん。

岸田文雄さんの生い立ちや経歴をご紹介します。

 

幼少期はアメリカで生活

1957年7月29日、東京都渋谷区で生まれた岸田文雄さん。

本籍は広島県ですが、当時、父の文武さんが通産省(現・経済産業省)で働いていたため、東京で生まれています。

そして、1963年、6歳の時に父の仕事の都合で、アメリカ・ニューヨークに移住

小学1年生~小学3年生まで、ニューヨークの公立校に通っていました。

通っていた学校には様々な人種の生徒がおり、仲良くしてくれる白人生徒もいる一方、あからさまに舌打ちをする生徒もおり、差別を経験。

このときの経験によって、政治家を目指すことを決意しました。

小学低学年にして政治家を目指そうと思えたのは、官僚の父の存在が大きかったのでしょう。

参考

当時のお父さんは通産省の官僚でしたが、1979年には衆院議員に当選し、1992年まで議員として活躍しています。

日本の小学校に転入し、日本トップクラスの高校へ

1966年6月に日本に帰国し、7月からは千代田区立永田町小学校の3年次に転入。

その後、千代田区立麹町中学校に進み、硬式テニス部に所属していました。

そして中学校を卒業した1973年、日本でも有数の進学校・開成高等学校に入学

まさにエリートコース

お父さんが官僚ですので、きっと勉強すること、偏差値の高い高校に行くことが当たり前だったのでしょう。

とはいえ、勉強ばかりではありません。

野球部に所属し、

  • 守備:ショートもしくはセカンド
  • 打順:1番もしくは2番、時々6番

とスポーツ面でも活躍。

そのうえ、ロックやフォークに影響されてギターに打ち込むなど充実した高校時代を過ごしていました。

ちなみに、岸田文雄さんは広島カープの大ファンでも有名です。

 

この投稿をInstagramで見る

 

岸田文雄(@fumio_kishida)がシェアした投稿

 

東大受験に3回落ちる

順調とも思える岸田文雄さんですが、高校卒業時の東大受験で不合格

岸田文雄さんのお父さんが東大出身、親族にも東大出身者が多いため、当たり前のように東大を目指していました。

ですが、結局、2浪しても合格できず早稲田大学法学部に進学

このとき、悔しい思いとともに安堵したようですので、かなりのプレッシャーだったのでしょう。

当時のことを振り返り、

早大に進んで、バンカラな気風の中で自分を見つめ直すことができた

(引用:BIGLOBEニュース

と語っており、結果オーライですね。

 

色々なことを経験した大学時代

1978年に早稲田大学法学部に入学

元防衛大臣の岩屋毅さんとは早稲田大学時代の同期で、学生時代は一緒に飲みに行ったり、国内旅行をしたりされていました。

岩屋毅さんも元県議会議員の父をもっており、少なからず境遇が似ています。

きっと話が合ったのでしょう。

勉強はほどほどに、色々なことをして大学時代を過ごしています。

岸田文雄さんといえば、バランスがとれているスタンスと評判。

高校・大学と一つのことに没頭するのではなく、様々なことをしていたからこそバランス力が培われたのかもしれません。

また、人柄が良い岸田文雄さんらしく、大学時代は友達が多かったとのこと。

「敵を作らない」というのは今にも通じるものがあります。

→岸田文雄の評判はいい人だけど真面目すぎ?インスタでイメージ払拭!

 

銀行員時代

早稲田大学卒業後は、日本長期信用銀行に入行

真面目なイメージのある岸田文雄さんですので、就職先が銀行とはしっくりきますね。

  • 本店で外国為替業務
  • 香川県高松市で海運業界担当の営業

をそれぞれ2年半経験し、日本長期信用銀行を退職。

海運業界担当の営業では、利息すら払えない会社から支援をお願いされたり、倒産や夜逃げを目の当たりにし、世間の厳しさや経済について考えさせられる経験をしました。

政界へ進出

日本長期信用銀行を退職後、1987年からお父さんの秘書として働き始めます。

その翌年、31歳のときに奥様の裕子夫人とお見合い結婚されました。

イケメン、ダンディーと評判の岸田文雄さんですので、30代での結婚とは少し意外ですね。

政治家になるということは、奥様の協力も必要なため、なかなか結婚に踏み切れなかったのかもしれませんね。

→岸田文雄の嫁(奥さん)が綺麗!裕子夫人とはお見合い結婚で一目惚れ!

 

1993年:衆議院議員に初当選

素敵な奥様を得て、6年後の1993年の衆議院議員総選挙に出馬すると、初当選

岸田文雄

(出典:Instagram

白黒写真というところに、時代を感じますね(苦笑)

1997年には若手議員の登竜門ともいわれる党青年局長に就任し、2001年の第1次小泉内閣では文部科学副大臣に任命されました。

そして、2007年の第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣に任命され、初入閣

お父さんは内閣に入閣することなく、総務政務次官や文部政務次官などとして活躍されていました。

ポストだけで考えるとお父さんよりも華々しいポストを任されたことになりますね。

お父さんは、岸田文雄さんが衆議院議員になられる前年の1992年に亡くなっています。

衆議院議員や大臣として活躍する姿を見せることはできませんでしたが、喜んでいるのではないでしょうか。

 

2012年~:主要なポストに抜擢

その後も数々のポストに任命される中、2012年に発足した第2次安倍内閣では外務大臣として入閣。

当時のアメリカ大統領・オバマ氏の広島訪問を実現させ、通訳なしで英語で説明するなど実力を発揮しました。

(出典:Twitter

安倍晋三さんとは派閥が異なりますが、当選同期といういうことで関係良好なうえ、実務能力を認められ外務大臣を任せられたのでしょう。

歴代2位の約4年8ヶ月間、外務大臣としての責を果たしました。

2017年8月から2020年9月までは、以前から希望していた政調会長をされています。

1993年に当選してから現在まで9回連続で当選し続けていることからも、活躍が期待されていることが分かります。

岸田文雄が政治家を目指したきっかけ

岸田文雄さんの生い立ちを振り返ったところ、

  • 小学低学年での差別の経験
  • 大学生の頃の父の姿

これらの出来事をきっかけに政治家を目指したようです。

岸田文雄さんは祖父・正記さんから続く政治家一家。

父・文武さんも官僚を経て、政治家になられています。

そのうえ、叔母が宮澤喜一元総理大臣の弟と結婚していることから、幼い頃から政治は身近にあったのでしょう。

小学1年生~3年生の頃に差別を受けたことが政治家を目指す原点となり、大学生の頃、父が政治家になったことをきっかけに政治家になることを強く意識し始めています。

 

ちなみに、岸田文雄さんには3人の子供がおり、長男の翔太郎さんは岸田文雄さんの秘書をされています。

岸田文雄さんの後を翔太郎さんが継げば、4代続くことになりますね。

→岸田文雄の息子3人が高学歴でイケメン!長男は偏差値70の秘書!【顔画像】

 

岸田文雄の持ち味

岸田文雄さんが所属する宏池会の議員・古賀篤さんが、

岸田会長は多様な声にしっかり耳を傾け、熟慮し、決断するときはする人だ。この難局でもしっかりバトンを引き継げる人物だと確信している。

(引用:毎日新聞

と語っているように、岸田文雄さんの持ち味は聞き上手

大学時代も飲み会のときは、岸田文雄さんは聞き手に回っていました。

  • 発信力が弱い
  • リーダーシップに欠ける

という声もありますが、

そんな声には「反論するのは潔くないと思ってます。自分と態度と行動で応えていくしかない」ときっぱり。

(引用:毎日新聞

国民の声を書き留めた30冊近いノートを読み返し、自らが変わって信頼を回復し、民主主義を守り抜く決意をして2021年の総裁選に立候補しています。

2020年に総裁選では落選しましたが、今回、首相になられるのか総裁選の行方から目が離せませんね。

→総裁選立候補者をまとめた記事はコチラ

-人物
-

© 2019 たびまちブログ.