人物

山田裕貴の父は元プロ野球選手!俳優を志すきっかけは和利だった!

人気俳優の山田裕貴(やまだ ゆうき)さん

山田裕貴さんの父親・山田和利(かずとし)さんは、中日ドラゴンズ・広島カープで活躍していた元野球選手

現在は、広島カープの二軍守備・走塁コーチをされています。

山田裕貴さんが俳優を目指した背景には、お父さんからかけられた言葉が大きく関係しているんだとか。

この記事では、「山田裕貴の父は元プロ野球選手!俳優を志すきっかけは和利だった!」と題して、

  • 山田裕貴さんの父のwikiプロフィール
  • 山田裕貴さんの父の経歴
  • 山田裕貴さんと父のエピソード

をまとめてご紹介します。

山田裕貴の父は元プロ野球選手!

山田裕貴さんのお父様は、元プロ野球選手の山田和利(やまだ かずとし)さんです。

現役時代は、中日ドラゴンズ、広島東洋カープにて活躍されていました。

 

山田裕貴の父のwikiプロフィール

山田和利

(出典:広島東洋カープ公式サイト

名前山田 和利(やまだ かずとし)
生年月日
(年齢)
1965年6月3日
(56歳)
身長/体重178cm/82kg
出身地愛知県名古屋市中村区
職業広島東洋カープの二軍コーチ

現在、56歳の山田和利さん。

山田裕貴さんも身長178cmと、お父さんと一緒!

高身長なのはお父さん譲りなんですね!

 

山田裕貴の父の経歴

1984年~1990年:中日ドラゴンズ

山田和利さんは、中日ドラゴンズからドラフト4位指名を受けて、愛知県名古屋市にある東邦高校を卒業後、1984年にプロ野球界入りしています。

レギュラーに定着することはできませんでしたが、俊足を活かしながら、いくつものポジションをこなせるユーティリティプレイヤーとして、1988年には82試合に出場。

その年のリーグ優勝に貢献されました。

 

1991年~1995年:広島東洋カープ

1991年には、トレードで広島東洋カープに移籍。(背番号は25番)

翌年の1992年後半、二塁手レギュラーの正田耕三さんが故障したときは、その穴を山田和利さんが埋めました。

1993年~1994年は出番が減りましたが、1995年には一塁手のメディーナさんが故障した穴を埋めることに。

94試合に出場して、打率.270、本塁打12本、53打点の活躍をみせて、リーグ2位に貢献。

これまでは俊足を活かしたプレーでしたが、強打の内野手として活躍しました!

1試合にホームラン3本を打ったこともありましたよ。

 

1996年:中日ドラゴンズ

その後、1996年に古巣の中日ドラゴンズに復帰

背番号7番が与えられて大きな期待が寄せられましたが、故障のため一軍での出場ができず、その年、31歳のときに現役引退されています。

(出典:Twitter

366試合に出場した現役時代の通算成績は、次のとおりです。

  • 打率.262
  • 出塁率.341
  • 長打率.388

広島東洋カープに移籍して強打者として活躍されていたときは、長打率が.400を超えた年もありました!

 

プロ野球選手の引退平均年齢が30歳前後と言われています。

引退した年は活躍が期待されていた年でもありましたので、故障さえなければ、もう少し長く活躍されていたのでしょうね。

 

山田裕貴の父の現在

現在、山田和利さんは、広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチをつとめています。

現役引退した後は、中日ドラゴンズに残り、1997年~2004年まで

  • 二軍打撃コーチ
  • 一軍内野守備・走塁コーチ
  • 二軍内野守備・走塁コーチ
  • 二軍野手総合チーフコーチ

を歴任。

2005年~2010年はフロントに入って、チームを支えていました。

参考

フロントとは、チームの首脳陣や事務局のことを指し、オーナーや社長、広報担当者などの総称のことをいいます。

2011年には、広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチを任され、2012年~2014年は球団編成を担当していました。

そして、2015年から現在の広島東洋カープの二軍守備・走塁コーチを務めています。

選手のスカウトや監督・コーチなどの人事を担う球団編成をされたこともありますが、コーチに復帰していることから、山田和利さんにとっては現場が肌に合っているのかもしれませんね。

 

山田裕貴が俳優を志すきっかけは父・和利だった!

山田裕貴さんが俳優を志すきっかけとなったのは、お父さんの言葉でした。

お父様がプロ野球選手だったことから、元々、野球をやっていた山田裕貴さん。

ですが、お父様が元プロ野球選手というプレッシャーのため、中学3年生のときに辞めてしまいます。

そのとき、お父さんから、次の言葉をかけられました。

――お父様は何と?

野球をやめた時に、「俺は野球をやれとは言ってない、なんで自分でやるって言ったことを最後までやらないんだ?」ってことだけ言われて。

(引用:Yahoo!ニュース

当時は意味が分かりませんでしたが、高校時代、同級生が甲子園で活躍する姿を見て、野球を諦めてしまったことを後悔

次にやると決めたことは最後までやると心に誓いました。

その後、スカウトされて俳優の道を進み始めています。

お父さんからの一言によって、俳優としてやり抜く覚悟ができたからこそ、今の山田裕貴さんがいるんですね!

山田裕貴の野球歴や所属チームは?実力や辞めた理由を調査!

 

父の背番号で始球式を行う

野球から離れてしまった山田裕貴さん。

ですが、2018年には、お父さんが1986年~1989年につけていた背番号「30」のユニフォームを着て、中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズ戦の始球式でマウンドに立ちました

野球を辞めた後、俳優を始めてからの夢が始球式に登板することだったのだとか。

お父様の所属していた中日ドラゴンズ、そしてお父様がつけていた背番号をつけて、夢が叶って良かったですね!

始球式の後、山田裕貴さんは感慨深さのあまり、涙を流していました。

この姿にはお父様もグッと込み上げてくる思いがあったかもしれませんね。

まとめ

以上、「山田裕貴の父は元プロ野球選手!俳優を志すきっかけは和利だった!」をお届けしました。

  • 山田裕貴さんの父・和利さんは元プロ野球選手
  • 中日ドラゴンズ、広島カープで活躍
  • 現在は、広島カープで二軍コーチをしている
  • 父の言葉がきっかけで俳優で生きていくと決めた

元プロ野球選手の父を持つ山田裕貴さん。

学生の頃はお父さんの存在がプレッシャーでもありましたが、今となってはお父さんの言葉を励みに俳優業に情熱を捧げています。

そんな息子の姿をお父さんも応援しているのではないでしょうか。

ファンとしても、俳優として頑張る山田裕貴さんを応援したいですね!

山田裕貴の母親はどんな人?息子の写真集を3冊購入して家族で応援!

山田裕貴は2人兄弟!妹の麻生(まい)はモデルで仲良し【画像あり】

山田裕貴の中学高校など学歴は?幼少期の生い立ちも調査!

-人物
-

© 2019 たびまちブログ.